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卒後50年の仲間で長嶺洋先生の米寿ば祝う会

昨日は表題の会のため故郷・佐世保でした。今、帰ってきて一息入れたところです。

 

発起人を代表してということで、僕が挨拶をしなければならないということでしたが、司会者から3分以内でと何回もメールが来ていたので、僕は困ってしまい、原稿を作って練習し、たぶん2分40秒ぐらいで終わったはずです。

 

以下が、その原稿です。

 

「長嶺先生!」 本日は先生の「米寿」をお祝いする会です。おめでとうございます。そして、我々の「卒後50年の集い」に奥さんともどもお越しいただき、ありがとうございます。

 

僕らは50年前、長嶺先生の薫陶を受け(もちろんその多少は、ありはしますが)、それはともかく今こうしてここ西海の地で、幸せの再会ができることを、ほんとうにありがたいことと思っています。

 

先生のお誕生日は、11月3日と伺っていますので、正確に言うと今はまだ87歳ということですが、お祝い事は早めにということで、本日の運びとなりました。

 

僕らは、卒業時はだいたい18歳。先生は87から50引くと37歳。多分我々の子供たちが、今そのあたりの年齢だと思いますが、当時を思い起こすと、長嶺先生は実に立派な大人で、「先生」というのを差し引いても、社会的にも貫禄と威厳がある大人だと思い出すのは僕だけでしょうか。どうでしょうか? 曲がったことが大嫌い、背骨がしっかりしている大人を、僕は畏怖の念を抱きながら感じていました。

 

先生も含め、と申しますのは、はなはだ失礼かもしれませんが、私たちはお互い出会ったときに「それからの50年」という月日をイメージできたとでしょうか?

 

我々が母校南校でお別れした年(1968年)の50年前、1918年は第一次大戦が終了した年です。

そして、それからさらに50年(つまり100年です)遡れば、1868年すなわち明治元年です。

 

「長かったようだし、あっという間の半世紀=50年」と思うのは、僕だけでしょうか?

 

「少年老い易く、学成り難し」といわれていましたが、はたして「我々は何をなし、何をなしえなかった」のでしょうか?

 

ま、それはそれ、お互い胸の内にしまって、今いちばん大切なのは「これからどう生きるか」だと思っとります。

 

本日は、お互い、これまでの50年を簡潔に語り、これからの「11年の抱負を聞かせていただく会」にしたいと思っとります。

 

11年後、先生は99歳、そして我々は80歳です。つまり次回は白寿と傘寿(さんじゅ)のお祝い会です。異議はなかでしょうか?

 

僕が申すまでもないことですが、今が先生ご夫妻も含め、これからの人生の終わりから見晴るかすならば、本日が我々は皆 「今が最も若い」というわけです。

 

そがんわけで、「また次の目標に向かって」と言うと、来世をイメージする方もおられるかもしれませんが、(それはそれで良しとし)、お互いそれぞれの健康法もお持ちだと思いますので、それらも披露していただき、師の恩を実感しつつ旧交を温めたいと思っております。大変お粗末ですが、発起人を代表しての挨拶とさせていただきます。

 

ま、こんな話で始まった会です。

 

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先生ご夫妻のお礼のご挨拶。

 

しばし飲み食いのあとのアトラクションです。

 

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当時の長嶺先生の英語授業を思い出しながらの寸劇です。先生役は現役の長崎大学学長の河野クン。

 

このために準備会のメンバーは学生服を用意しており、とてもリアリティがあり大笑い。

 

そのあとで、僕も着せてもらいました。

 

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見事(?)に高校3年生に!

 

 

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