コロナが始まってこの種の「シーティング講座」は、お休みしていましたが、やっと復活!
シーティングの基本から始まり、実践場面では主にお年寄りをいかに坐らせるかについて紹介します。
今からでも申し込みできます。
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都会の近く(町田の我が家からは丹沢山まで直線で30kmほど)でありながら、東西40km、南北20〜30kmにもわたって山地が広がっている。地図で見てみると九州だと九重と阿蘇がほぼ入る大きさだ。
丹沢には縦走路がいくつもあり、代表的なコースが丹沢主稜縦走コース。2017年5月に息子と一緒に一泊二日で走破。
詳しくは 2017年05月07日の記事 | 光野有次の気分はバリアフリー (jugem.jp)
丹沢山塊の最高峰の蛭ヶ岳から西に向かって伸びる長大な稜線で、非常に起伏の激しい稜線だ。とてもきつかった。ここを歩ければ日本アルプスの観光ルートは問題ないはずだ。
もう一つが、比較的なだらかな道の続く塔ノ岳−蛭ヶ岳間の稜線(丹沢主脈)を歩く丹沢主脈縦走コース。
丹沢主脈とは丹沢山地の塔ノ岳から丹沢山や丹沢山地最高峰の蛭ヶ岳を経て焼山に至る稜線で、丹沢山地を構成する大きな稜線の一つである。
いずれにしろ、主峰・蛭ヶ岳を中心にした尾根筋で、東西に走るのが丹沢主稜で、南北が丹沢主脈ということらしい。今回の山歩きで、主脈の蛭ヶ岳から焼岳までのコースを残すのみとなった。
写真は仏果山から。 仏果山については:光野有次の気分はバリアフリー (jugem.jp)
次回は一泊付きで丹沢主脈縦走路(全コース)を走破するつもりだ。ちなみに丹沢主稜縦走は勘弁してもらいたい。
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寒いだけあって天気はとてもいい。朝飯をゆっくり楽しんだ後、午前8時に登山開始。
上を見上げても下を見てもこの尾根はかなりの急傾斜だ。
まずは烏尾(からすお)山をめざす。
富士山だ!
雪が増えてくる。
烏尾山の山頂だ。山小屋は閉鎖されていた。
実はこの尾根(下の写真)を登ってきたわけだが、登り口にはこの表示がなかった。下るのは危険という意味だろう。
縦走コースを歩くわけだが、風もあり雪は多く、一部凍っているところもあり、滑りそうだったので簡易アイゼンを着用。
今回の目的の行者ヶ岳の山頂だ。見晴らしはたいしていいわけじゃない。
ここからは鎖場が続く難所だ。アイゼンを履いたまま岩場を降りるのは緊張するが鎖はありがたい。
ベンチはない。雪の上に腰をおろす気はしない。昼飯は1月と同じ場所。倒れた木の上に腰掛けることができた。ここは風が当たらないので快適だった。
そして1月に往復したこの政次郎尾根を下るが、なんと、ここにも新しい同じ標識でやや緊張した。
ここで踏み外すと遭難となるのだろう。
ま、無事下山。時刻は午後3時になろうとしていた。8時から歩き始め途中の休みは昼食も含め1時間ほどなので、6時間ほどだった。その3分の1は雪の上だった。やや緊張したが、天気に恵まれ実に楽しい山行だった。
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今月8日未明から町田にも積雪があったのですが、街はその日のお昼頃には雪はなくなった。9日、散歩道から見える丹沢の山々には雪が残っていた。
10日(日)もその翌日も好天の予報。
身持ちの良い夕刻だ。
日暮れとともに、またビールとワインがすすむ。
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孫3人が久しぶりに集合。
左の小学2年生からの手作りの贈り物です。
素晴らしいアイディアだ。
箱の蓋にも丁寧なイラスト!
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僕は、小学校も中学校も窓からはいつも佐世保港が見えていました。海が見えるのが当たり前の生活でした。
テレビのおかげで、しばらく海を見てなかったことに気付き、朝まだ寒かったが、天気も良かったので山下公園をめざしました。
左先には大型客船の波止場が見える。
下は停泊したままの氷川丸を背景に自撮り。
上は「あ〜おい目をした・・・」お人形で、下は赤い靴履いていた女の子の銅像です。それぞれ歴史を背負った女の子(?)のようです。
来月、ここで(なんだかわからない)祝賀会をやることになったようなので下見。
実に安くて、とても旨い!
今は交番になっているが、道は変わらないようだ。
久ぶりの中華街だが、とても込み合っていた。
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電車に乗り込むとすぐに電話がかかり、満席で翌日も予約が一杯で2日後(つまり昨日)でないと席がないということだった。
「映画館で映画を見るぞ〜!」という気分で盛り上がっていたので、すぐに新百合ケ丘駅で下車し直行。前から興味があった伊藤野枝さんをモデルにした「風よ あらしよ」の上映がちょうど始まるところだった。
瀬戸口晴美著の「美は乱調にあり」を以前読んでいたので、辻潤や大杉栄との関係、そして関東大震災の後に憲兵隊によって虐殺されたことも知ってはいたが、あらためてこの映画で、大正デモクラシーと呼ばれることもある時代だが、男尊女卑の厳しい社会の中で、女性の自立そして昨今のジェンダー問題などを先取りしていることがわかる。福岡出身の女性だ。
余談だが、大杉栄や甥子とともに憲兵隊によって惨殺された野枝さん(享年28歳)には7人の子どもがあり、その一人であるルイさんは僕が諫早でやっていた無限工房にお越しになったこともあった。
詳しくは 伊藤野枝 - Wikipedia
そして昨日の「カムイのうた」である。
断片的には知っていたが、文字を持たなかったアイヌ民族が口承してきたユーカラという長大な叙事詩をローマ字表記し、美しい日本語に翻訳をした知里幸恵さんの一代記である。
わずか19歳の若さでこの世を去ってしまうが、当時のアイヌの生活ぶり、特に厳しい差別の実態もよく伝わる映画で、目頭を押さえずには鑑賞できなかった。北海道の大自然の映像、そしてアイヌ語のうた(ユーカラ)も素晴らしい。
実は、この二人の女性が亡くなるのは、ほぼ同じ時期だった。
知里幸恵さん;1922年(大正11年)
伊藤野枝さん;1923年(大正12年)
ちなみに関東大震災;1923年9月1日というわけで、100年ほど前の話である。
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蜂が飛んでいる!
教会の模型
昨年はビデオでこの礼拝堂を拝見したが、今回は原寸大で再現されている。
乃木坂の新国立美術館から六本木ヒルズへ歩く。
「モーツアルト(というかプレスリーかな) は いいな〜」と聴いていた時に、突然ビートルズだ。
マチィスとキース・ヘリングはそんな感じかな〜。
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裁判もあったようです。詳しくは ういろう (菓子) - Wikipedia
それはさておき、小田原城を模したのでしょうか、ひときわは目立つ店舗です。
中は今でも漢方薬局とお菓子(ういろう)屋が右左に分かれて販売していました。
左奥が漢方の薬局。下は昔の写真です。
この写真は下の有名な金次郎の銅像の向こうにあるこじゃれた新しい食堂のインテリアの一部として展示されていたものです。
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お城の高さ比べですが、小田原城は第7位です。これは意外でした。島原城(長崎県)が3位というのも知りませんでした。驚きです。
再現された天守閣は5階建。一番上は展望台になっています。
北側はいつも登っている丹沢の山々が一望できます。案内の写真と僕の実写を並べて見ました。
上側の写真で大山が白くなっているのは(雪ではなく)多くの方が触り過ぎたようで剥がれて白くなっています。
下の小さな写真ですが、10日(土)の登った大山も白く見えます。丹沢の高い山は白く見えます。
下は別の角度(西側です)からの写真ですが、例の石垣山が間近に見えます。
石垣山城については、昨年掲載していますのでご覧ください。
2023年12月22日の記事 | 光野有次の気分はバリアフリー (jugem.jp)
昨日は反対に小田原城から一夜城と呼ばれる石垣山城を眺めてみました。
1590年、ここでの合戦の勝利で秀吉の天下統一が目前となりました。戦国時代の幕が下ろされ、近世ということになったのだそうです。
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昨日、練習しましたが、あっという間の装着です。
僕は父親の遺言(?)で「山に登るのははいいが、雪山と岩山はダメ!」ということで、アイゼンを使うのは夏に2000〜3000mの雪渓を登ったり渡ったりするときだけ使っていました。これまでのアイゼンはベルトで締め付けるモノで、装着(脱着にも)に時間がかかっていましたが、これは素晴らしい!
戯れ句にもならない駄句です。「安心かしら」は 愛染カツラ (木) - Wikipedia にかけています。
アイゼンがない方は引き返していました。本日は暖かったので午後はだいぶ雪が融け、スニーカーで登る人もいましたが、下りは大変そうでした。
頂上には50?程の雪が残っていました。
いつものように昼飯です。今は山行中はビールは無しです。下山時に必ずと言っていいほど脚がツルからです。
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意外なとこに、こんな方がいました。思わず「弟さん?」と尋ねましたが、「息子さん?」と聞いてもよかったのかな〜。(このブースのスタッフの方で、たぶん血縁関係はないようですが・・・)背格好もほぼ同じ!
この写真ではさほど似てはいないのですが、実はよく似ていましたので「他人の空に」に収蔵することにしました。御両人の許可(?)は頂いています。
下は諫早時代の友人・長谷川武雄さんが「九州クラフトデザイン協会」のブースで昼飯も食べる間もなく頑張っていました。
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会場設営が終了したので記念撮影。たまたま代表の木之瀬さんは不在(トイレ?)。
報告会 こどものシーティング —現状と課題― プログラム
12:30 開場 受付開始
13:00 開会の挨拶(10分) 木之瀬 隆(代表理事)
13:10 こどものシーティング【制度】(20分) 高木憲司(評議員長)
13:30 こどものシーティング【歴史と実際】(20分) 光野有次(監事)
13:50 こどものシーティング【事例】(20分) 野村寿子(理事)
14:10 報告書の説明(40分) 繁成剛(評議員)
14:50 休憩(10分)
15:00 ディスカッション(60分)
16:00 閉会
定刻に木之瀬代表の挨拶からスタート。
制度について高木副委員長が問題点や今後の展望を説明。
次が僕で「歴史と現状」。
野村さんが事例を通して説明。
繁成検討委員長の中間報告。
Zoom参加者を交えてディスカッション。きわめて充実した報告会だったと思うの僕だけじゃなかったようです。
この日は、また新たな記念日となったようです。本日のディスカッションを踏まえ3月末に最終報告書をまとめ公表します。本日公表した中間報告書を必要とする方は、日本車椅子シーティング財団までご連絡ください。なお、本日の動画も有償ですがご覧できると思います。
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テオ・ヤンセン展です。実は本日(1/21)が最終日。まずは動画をご覧ください。僕もこれを見て驚き、実物はどうなっているか確かめたかったのですが、やっと間に合いました。
生き物のように動く巨大アート「テオ・ヤンセン展」 (youtube.com)
比較するのはおこがましいが、彼は僕より1年早く生まれ、僕より1年遅く転向しています。生活してきた場所は異なりますが、同じ時代に同じ空気を吸って生きてきた「同時代人だ」です。
これこそが、まず最初の偉大な発明です。これが「テオ・ヤンセンのリンク機構」で、13本の棒がリンクすることで、まるで生き物の足のような動きを再現できるのです。この13本の長さを当時出始めたばかりのパソコンで見つけ出したという話でした。まさしくホーリーナンバーです。13という数は僕らには縁はないですが・・・。
ミニチュアモデルに風を送って羽を回すと、歩き始めるので子どもだけでなく大人も大喜び。
下は、比較的小さな実物で(実際は風で動くのだが)風がないので、手で軽く押すと歩き出す。
下のが最大サイズのビーストで、風の代わりにコンプレッサーで空気を送り込んで動かしてくれた。
大きな動力は風を受けた帆だが、細かな動くをコントロールしているのが、ペットボトルに入った圧縮空気だ。その動力もこの帆から得られる。自転車の空気入れ(ポンプ)と同じ原理だ。細いウレタンのホースは神経の役割をしている。
「たったこれだけのペットボトルでよく動くな〜」と思ったので、係の方に尋ねたら、実際に外の砂浜で動かすときには、数百本のペットボトルを取り付けるそうだ。
フレームやパーツはすべてこの樹脂パイプでできており、ジョイントには焼き鳥の竹串が使われている。
上は製作するときの治工具。下は彼のアトリエというか工房。
構想するときのデッサン(下絵)だそうだ。
屋外には、ぬあ〜んと友人(田中毅くん)の作品が!
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これまでは地方での講演・講義ばかりで東京(町田も東京なのだ!)は初めてということで、渋谷出身の彼は「凱旋講演」と喜んでいた。
ちなみに、この講座は撮影・録画はOK!ということだった。
2014年『朝日新聞』長崎県諫早支局長。2017年 大分県日田支局長。2021年〜熊本県天草支局長。
僕はこの諫早支局のすぐ近くに住んでいたことがあるが、彼が赴任した時には諫早を離れて久しかった。
諫早時代から田作りを続けているようで、狩猟も趣味でやっている。近藤さんとは面識はないが、ときおりそれを記事にしているので身近に感じていた。
新聞の折り込み広告で、この講座の案内が入っていたので、すぐに申し込んだ。200〜800字の原稿を事前に送れば添削もしてくれるというので送っていた。
昨日は長袖のアロハシャツ(?)にテンガロンハットとサングラスというトレードマークのままの出で立ちで登壇。サービス精神旺盛な方である。
読んでもらうには、サービス精神が必要ということで(まずは頷く)、読者は寝転んでラクラク読めるように筆者は頑張らなきゃいけない、という理屈に大きく頷く(もうここで僕は彼の手のひらに乗ってしまった)。
そこで、この3妖怪である。
●重複ドン ●どっさりもっさり ●分かりにっ壁
事前の投稿者が僕も含めて17人だったそうだが、そのうち4人の文章を例題にして、この3妖怪の説明をしてくれた。
「重複が多いと読みたくなる」というのは、同じ文字が無意味の並ぶとダメと言うのはすぐわかるが、文章がモタモタしていてリズム感がないのも読みたくなくなる。
そして本人が一番気づきにくいのが本人はよくわかっているが、読者には「分かりにくい」という内容だ。この壁が筆者にはいちばん見えにくいのだ。
下をクリックするともっと詳しく上手に説明されています。昨年の受講者の感想です。
近藤康太郎「アロハ記者の文章術」受講感想|久松紀子/校閲ジャーナリスト/翻訳校閲・校閲/英語学習参考書執筆 (note.com)
で、僕が投稿した文章にも丁寧な添削が入っていた。事前に関係者から「公表するかも」という電話を頂いていたが、例題に取り上げられなくてよかったと胸をなでおろした。(ちなみに「この胸をなでおろした」というような常套句は使うなというのも貴重な教えだった。)
これまでたくさんの文章を残してきたので恥ずかしくて読み返すことはないが、これからは文章を書くときに昨日の教えを忘れないようにしたい。