鉄人物語 その4 (終)
 お待たせしました。



「鉄人28号」誕生のときのシーンです。もちろんロケットは背負っていません。

僕が一番良く覚えていたのは、オックスとの戦いです。







ところで、鉄人の身長ははたして18メートル以上あるのでしょうか?この手の大きさから推測したのでしょうか?



そして、終章を迎えます。





この絵からみると、誕生の時の大きさに戻ったようですね。(終)




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合宿の成果? その1
 

夢のような2泊2日でしたが、家族からベンキョーの成果があがったかを問われる前に、冬の山小屋生活がいかに快適であったか、そしてそれを十分に満喫したこと、そして露天風呂も入り、帰りにはおいしいイタリアンを食べ、おみやげはこれこれだと矢継ぎ早に言って、ベンキョウーの成果は伝えませんでした。

 

もっとも、家族は僕の目的がベンキョーとはハナから信じていませんので、それはそれでいいのですが、全くベンキョーしなかったわけではありません。

 

忘れないうちに書いておきましょう!

 

今回の合宿の成果を僕なりに整理してみました。何しろ食べたり飲んだりする間の2日間、3人で同じテーマで話し続けたので、どの場面を切り取るかで、まとめの内容も異なるでしょう。いや、どこの場面でアルコールが程よく抜けていたかでも異なりますな。

 

さて、「障害者(※注)を障害者たらしめているのは、社会環境である」という国際生活機能分類(ICF)による観点に立ち、その社会環境を変化(=改善?)させることで障害を軽減させる、というのが考え方だということには、僕も異論はありません。

 

※注 ここでは「障がい者」ではなく、これまでの社会制度的観点で論を進めますので、ご了承ください。


 

国際生活機能分類とは、《International Classification of Functioning Disability and Health》の頭文字から「ICF」と略称で呼ばれることが多い言葉です。

 

これまでの障害分類の変遷を、さっとご覧下さい。おさらいです!


n      
国際疾病分類(ICD)

150年の歴史をもつ国際疾病分類(ICD-10)では、障害は疾患の治療が終わった後の後遺症のことをいうという考え方もあり、それは、疾患が急性疾患だった時代の遺物と考えるべきで、現代では、多くの疾患が慢性疾患となっており、病気の治療と続けながら、症状の管理や生活上の支援を行っていくことが不可欠になっている。つまり、疾患と障害は、同じケースをみる場合の観点の違いであって、時系列的なものではない。

n      
1980年 国際障害分類(ICIDH)

The International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps (ICIDH)

 ICDの補助として障害を医学、社会の両面から捉えた

 「機能障害」→「能力障害」→「社会的不利」


ICIDH
の原語での正式名称は「機能障害、能力障害、社会的不利の国際分類」で、日本語では、これを包括的に「国際障害分類」と呼んできた。
 

障害は「病気の諸帰結(結果)」という視点から3次元(生物・個人・社会)で捉えたものである。


 

n       2001年 国際生活機能分類(ICF)
International Classification of Functioning Disability and Health

   人間生活の生活機能というプラス面を含む分類


ICFはWHO(世界保健機構)が作ったもので、基本的には健康問題に対象範囲を限定。つまり、生活上の問題や人生への関与の問題といっても、性差別や人種差別などの問題に直接扱うことはない。

しかし、WHOによる健康の定義では「身体的、精神的、社会的な福祉」に従って、健康関連領域として、雇用や教育などの療育の問題の一部も対象範囲としている。

このICIDHに対して世界最大の障害者団体である障害者インターナショナル(DPI)が提起した反対によく表現されている。


つまり、障害とは、機能障害とは関係なく、社会的なバリアによって生じるというのです。これは、障害の「社会モデル」の考え方で、これに対しICIDHは障害の「医学モデル」といえる考え方です。

医学モデルと社会モデルの統合のかぎを握るのが、新しく導入された「環境因子」です。

ICFでは、健康増進上の環境的危険因子(自然環境等を含む)の分類まで想定して広い役割を期待されていますが、当初の問題意識はもっと限定されたものでした。ICFの開発の際の「環境因子」タスクフォースの議長は障害者インターナショナル(DPI)の議長であったことでも明らかなように、「環境因子」の導入の意図は医学モデルと社会モデルの統合でした。


ICIDHでは障害が運命論的に捉えられがちであったのが、ICFではよりありのままに問題の把握や支援の立案が可能になります。 

例えば、従来の障害の考え方では、例外中の例外として扱うしかない有名なホーキング教授の例があります。教授は重度の筋萎縮性側索硬化症(ALS)があり、人工呼吸器を使用しています。従来の枠組みでは、不治の病で、人工呼吸でなんとか生きながらえている状態であり、このまま生きるかそれとも尊厳死を選ぶか、というような狭い選択肢の中でしか考えられない状態です。

しかし、ホーキング教授は物理学者として活躍を続け、執筆や海外を含む講演活動を行っています

ICFでは、ホーキング博士の状況をありのままに描写することが可能であり、決してそれが例外中の例外の不思議な事態ではなく、理にかなった十分に説明可能なことであることが分かります。

ALS
により全身の筋麻痺、呼吸や心臓の機能障害、発声機能の障害があっても、職住近接、段差のない家、人的支援、電動車いす、入力装置、コンピューター読み上げ機によって、それらによる活動制限が最少に抑えられており、職業上でも物理学者であり、しかも講義が免除されていることにより無理な要件がなく、一方、障害とは関係がない個人因子の面では、物理学者としての十分な才能があるのです。
 
まとめると、ICIDHの「機能障害」「能力障害」「社会的不利」という硬直的な障害の理解や支援の枠組みでを超えて、個人の参加目標を重視し、多様な支援を駆使して、複雑で困難な生活状況にある人に支援を行うためには、ICFのような総合的な考え方が不可欠であるといえます。


まとめ;ICFの特徴

1、「障害」ではなく「障害のある人」を包括的に把握

2、プラス(生活機能)を重視しつつマイナス(障害)をみる

3、階総論的認識枠組み(生活機能と障害の3階層)

4、背景因子(環境因子、個人因子)を含め、全てを相互作用の中で捉える

5、活動の評価は「している活動」と「できる活動」

 

生活モデル(完治しない疾患・慢性期医療に対応)とは、複合的原因による疾患および障害と生活(個人・家庭・社会等)の関連を重視し、生活を再建する解決策やサービスを提供することで、そのためには成熟した保健・医療・福祉の多職種チームを社会的に構築することが不可欠だということです。

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山小屋で合宿

今年も気心知れた仕事の仲間たち(=「飲み仲間」とほぼ同義語)と、これからの天下国家のあるべき姿を模索するためのベンキョー会を重ねてきましたが、今回はこの1年を締めくくるべく山の中での合宿でした。

 

25日(金)の夕方、東京を出発。

 

僕はビールが確保されているのを確認し、座ったままでもクーラーボックスのビール缶に手が届くのも確認し、乾燥したおつまみを片手に、運転席の真後ろの座席に、まるで国際線に乗るかのような気分でシートベルトで姿勢保持。

 

途中、居眠りしながらも、目が覚めたら暗闇の中で一面は鉛色のきらめきの世界。身がしまる寒さを感じながら、持ってきたバッグや飲食品を持って白い息を吐きながら外へ。

 

朝の山小屋です。この海抜1500メートルの山小屋は、同行者仲間たちによる手作りです。






 

この近くから見える山です。


 

数日前に付けられた足跡が、山小屋の周辺には、あちこちに!




 

わかりますか? 






猪か鹿?(あるいは、蝶か?)


 

谷底まで下りてみました。

 

 


 

 

恐れ多くも「グルメ王」自らが、クッキング。ヤキソバ一つ作るのもセミナーが開けそうです! 



 

それにしても遅いので、半地下(実はそこが1階)になった炊事場に下りてみました。後姿にオーラを感じた僕は、余計なことなど言うスベ全くありませんでした。

 



これが、到着の深夜(実は早朝)できあがった見事なヤキソバです!!

 

 

未明、トイレに立つも、山小屋の狭いトイレに大男が2人もいましたので、やむなく極寒の屋外で星をながめて・・・・。

 

彼らの深夜(実は早朝)仕事は、ガチガチに凍結した簡易水洗トイレの復旧工事でした。



 

至福の時のたつのは早く、まるで竜宮城か、はたまた・・・「少年老い易く学成り難し」など、・・・とアルコールで目を閉じているうちに、出来上がってきたのは「グルメ王」による完全鍋でした。



 

僕は気取って、その場で「早く名乗ったが勝ち」という世界共通ルールに基づき「完全無欠・世界最強パーフェクト平和鍋」と名付けたのです。あとから名乗るには、このくらい長くなるのは致し方ありませんね。

 


2泊でははなはだ名残惜しかったのですが、下山です。

いよいよ住み慣れた(?)この快適な山小屋ともおさらばです。みんなで手分けしてあとかたづけ、そして立つ鳥あとを汚さずのタトエ通りに大掃除。

 

この大きなテーブルの下を掃除しようと見てみたら、こんな鳥の死骸でした。



まるで立派なミイラのようなとてもキレイな死骸です。全く虫や鼠などにも犯されないなんとも美しい骸(むくろ)で、何と名付けられた小鳥なのだろうかと、この写真で判定してもらおうと撮ってきました。

この写真見て、弊社の女性スタッフは「みそさざい?」と言うが早いかネットで検索。

 

ミソサザイ  みそさざい 鷦鷯 (スズメ目 ミソサザイ科 ミソサザイ属 留鳥)

全身褐色で細かな縞模様を持ち、ごく薄い眉斑がある。国内の鳥類ではキクイタダキと共に最も小形です。囀(さえず)りは非常に美しく、体の大きさに似合わず大きな声で鳴きます。渓流沿いを歩いているといるのは声でわかるのですが、小さく、動きも速いので見つけにくい鳥です。その鳴き声から地方により色々な名前が付けれれたています。秋、冬は平地で、はる、夏は高地にやってきます。

 

ということですので、秋のまだそう寒くない山小屋の中で閉じ込められしまい、急激な寒さに耐えられず、春の日の光を夢見ながら、そのまま永久(トワ)の眠りについた鳥の王「みそさざい」だったのです。

ということですが、真冬でも委細構わず東京から僕がぐびぐび飲み続けたのは、このビールでした。



 

冬物語、第一巻の終わり。

 

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鉄人物語 その3

冒頭にあるように、鉄人は1号から27号までつくられましたが、「皆 頭部が弱かった…」とありましたね。

 



これは、どちらの意味でしょうか?

 

置き換えてみましょうね。

「ミツノは頭部が弱かった…」と語られるなら、たぶんプロレスラーのミツノは、頭突きにめっぽう弱かったので、大木金太郎とかボボ・ブラジルと対戦すると、必ず頭突きでノックアウトされていたということが想像できる。

 

ですから、脳味噌のことをさしてはいないということが容易にわかりますが、しかし、ここでは作者はロボットのことを語っているのです。

 

まだコンピューターのない時代(?)でしたので、重い図体をコントロールする「頭部」が未完成で弱点があったということかもしれません。

 

で、そこでいろいろあって28号が登場しますが、この28号とは、太平洋戦争で来襲したアメリカ軍の重爆撃機「B−29」から連想されたものらしい。鉄人28号は旧日本軍の秘密兵器という設定になっています。

 

28号がこうやって登場しますが、すぐに壊れてしまいます。






 

そこで、そのあとやっと本物の28号が登場します。全24巻のうち第1巻の半ばまで主役=鉄人28号は出てきませんので、登場するまでにずいぶん間があったようです。良い子はなんどか肩透かしを食うのですが、それでも物語の展開を楽しみにして翌月を待ったものでした。

 

いよいよホンモノの登場の場面です。この場面は全く覚えていませんでしたが、後日、実写版としてテレビに登場したときに、とても印象に残っているシーンでした。確か提供は日立製作所だったと思います。



 

もちろん、まだ背中にロケットを背負ってはいませんので空を飛ぶことはできません。それにしても鉄人は小さくてスマートでしたね。



 

顔の表情も全くといっていいほど異なります。ぼくの「他人の空に」にも採用できないくらいです。ですから、これもニセモノといってもおかしくないくらいですね。



つづく

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鉄人物語 その2
 




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鉄人物語
 僕が小学校に入学した年から始まった「鉄人28号」の物語です。



これから、ときどき連載します。
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東弁護士が担当室長に
この話は既に仲間から伝えられて喜んでいましたが、東さん、そして仲間の皆さん、おめでとうございます。

自分らのことは自分たちで決めたいという長年の夢の実現へ、大きな一歩を踏み出すことになりました。 

本日の朝日新聞「ひと」の欄です。



東さんが使っている、車椅子、わかりますか?

15年前に輸入開始した当時のパンテーラです!
初代パンテーラがいまだに元気で現役を勤めています。

アーチェリーだけでなくテニスやマラソンなどもやっていただけに、彼の車椅子操作はいささか乱暴ですが、それでも壊れないと喜んでいましたが、15年も壊れないとは僕も思っていませんでした。

近いうちに東京で会って、この推進会議とこのパンテーラの現状を確認してこようと思っています。

熊本の販売店からメンテパーツの依頼は継続しているようですから、安心はしていますが、彼の活動が円滑に進むためにも車椅子の整備は不可欠です。
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車いす・シーティング技能者講習会

気がつくと今年もあと10日で、おしまいですね。

 

準備にはずいぶん時間をかけていましたが、最近は来年の話とばかり思い込んでおり、なんだかしばらく先のような気分でいましたが、残り少ないカレンダーを見る(別に見なくてもわかることですが)と、年明け早々お屠蘇気分の抜けない七草粥の7日から11日まで、日本車いすシーティング協会 http://www.j-aws.jp が主催する「車いす・シーティング技能者講習会」(←この内容もここで確認できますよ!)が開催されます。

 

本日、弊社のディラーさんから入会とこの講習会の問い合わせがあり、事務局に確認してみたところ、締め切りは終了したが、まだ少し席に余裕があるということで、その旨を伝えところ大変喜んでいただきました。

 

まだ、間に合うそうです。「予定していたんだけど忘れていて、まだ申し込んでないよ」とおっしゃる方は急いで申し込んでください。「ミツノのブログ見た」と明記しなくてもいいですが、定員になり次第締め切ります。

 

実は、僕はこの講習会を担当する理事なのです。例年だと11月に2回ある祝日のどちらかを挟んで開催してきたものですが、今回は会場の都合とテキストの全面見直しということで、2ヶ月遅れのこの時期になりました。




昨年の講義の様子(会場=横浜市総合リハビリテーションセンター)



スライドを使う講義がが多いので、見やすい場所をとることが大事です!


交流会が必ずセットされていますので、忘れずに是非申し込んでくださいね! 



正直に申します。今、こうやって冷静にキー操作していると「2ヶ月遅れ」とさらっと表現しましたが、翌年に先送りしたというイメージが強く残っていたもので、やや余裕を感じておりましたが、例年と比較してたったの2ヶ月しかずれてない事実(前からそうだったのですが)に気付き、やや愕然とした次第です。

 

テキストの見直しに伴い講師の入れ替えも発生し、今年はこの講習会の準備はここまでも例年に比べようもないくらい大変でしたが、新任の事務局員の獅子奮迅(孤軍奮闘?)の大活躍があり、何とか準備が整ってきました。しかし本当に忙しいのは、これからでしょう。

 

この講習会は、5日間講習会とも呼ばれています。

「車いすとシーティング」に関する日本の第一人者を講師に招いたもので、中身のたっぷり詰まった充実の講義が勢揃いです。

今年からは特に「座位保持装置」について、さらに充実を図りました。つまり発達障害児に対するシーティングの方法論を、複数の講師に分担していただき、しっかりとたっぷりとじっくり講義してもらいます。

 

この講習会は、ハードウェアの提供者、すなわち福祉用具の供給事業者向けに設計されたものです。車椅子や座位保持装置を製作・販売する方にとって不可欠な技術やノウハウを広く学んでいただくもので、「リハビリテーションとは何か」から始まり、人体構造の理解そして、医師の処方の理解とそれをハードとしての用具に置き換え実際に使えるものを提供していくという一連の流れを学ぶものです。

 

理学療法士や作業療法士などセラピストの参加も可能ですが、あくまでもこの講習会は、シーティングの中でもハードを学ぶのが主目的です。

 

セラピストと供給事業者は車の両輪のような関係で、「シーティング」という目的の山の頂上まで同行していく関係です。

そのためには、セラピストの皆さんには、「日本シーティング・コンサルタント協会」(※ミツノが命名!)が主催する講習会がありますので、まずはそちらを履修されることをオススメします。

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開け辛いパッケージ

両手でも開けにくいパッケージがありますね。

 

これはさほどではないですが、開け辛い。

 

 

 

とても力が必要な容器もあります。手で開けるように設計されているようですが、なかなか難しい!

 


 

 

手が不自由な方は、自分で開けられないかもしれません。片手しか使えない方もですね。

 

面倒なので、普段は包丁でサーッと切り込みます。

 

ビニール袋に入った醤油やラーメンのタレなど、特に餃子のタレとラー油が入ったのなんか、だいたい開け辛いですね。もちろんスパッと切れるようになったのもありますが、

 

片手でも簡単に開くようにもっと工夫が要りますね。

 

もうひとつは、このようなモノを簡単に確実に開けることのできる用具(自助具)があるといいのかもしれませんね。

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ヒトが働くワケ

内田樹さんの16日のブログ http://blog.tatsuru.com/ では、「人間はどうして労働するのか」と題して論じられています。なかなかの卓見と思いました。

僕が2005年に出した岩波ジュニア新書の巻末に書いた文章(初稿で実際のものとは一部異なっています)を採録します。




 

ここに書いた「ヒトが働くわけ」と内田教授の論とは比べようもないけど、「僕(わし=オイ)もこのことを考えた!」というわけです。

 

 

ところで「働くというのはどういうことか?」、あるいは「労働の意味は?」と、この問いは置き換えてもいいでしょう。少し私(=光野)の考えを整理してみます。

 

「生きるために食べるために労働は生まれました」と言われますが、それはヒト以外の動物も同じで、生きるために食べ物を求めて活動しています。ヒトが他の動物と異なるのは社会という集団生活を行う点ですが、これはサルや象や鳥たちに限らず蟻や蜂などの虫たちも含め、多くの動物は集団生活を行っているので、単に集団生活だけをとらえてヒトを他の動物と区別するわけにはいきません。

 

社会を形成するという点に着目すべきで、この社会も原始的なレベルではサルの集団とほとんど差異がありません。

 

ところが二足歩行により前足を自由にしました。つまり手を持ち、そのことで自然物を道具にすることができました。さらに自らの手で、その道具を改善することができました。

 

そして新しい素材で新しい道具を生み出すことができます。このプロセス、すなわち道具を作り出すことができたという点こそが、他の動物と明らかに違い、一線を画すことになったと言われています。

 

サルは身の回りにあるものを道具として使うことができますが、作り出すことはできないのです。

 

そして、ここからが大事なところです。道具によって自分ひとりあるいは子どもを養うことのみならず働けなくなった、つまり食べ物を自分で得ることができなくなった年老いた親をヒトは養うことができるようになります。親の面倒を見ることこそがヒトが他の動物と決定的に異なる点です。

 

もちろん以前は今のような長寿が約束されたわけではないので、働けない年齢になったら基本的には自然に死んでいくというのが大部分でしたが、それでもいわゆる生産不能になった老人たちも共存できる社会を人類はずいぶん前から持っていたようです。つまり道具の利用と開発によってヒトは生産者と後継者以外も生活できる余剰生産が可能になり、老親たちが生存でき得たわけです。

 

それを裏付けるようなニュースが、「原人も弱者いたわる?」というタイトルの記事が、2005年4月7日の日経新聞に掲載されていました。サブタイトルは「歯のない化石グルジアで発掘」とあります。「約180万年前の原人化石の調査で、歯がすべて抜け落ちた状態でも生き延びた原人がいたことが分かった」。肉食が中心の時代に誰かが食事を軟らかくしていたはずと米北テキサス大のリード・フェリング博士らが英科学誌「ネイチャー」に発表したとありました。 

 

このことと逆に、余剰生産が不可能な場合は生産者とその後継者以外の老親たちが率先して死んでいったという歴史も残っています。

 

スウェーデンの博物館には長さが2メートルくらいの天秤棒みたいなものが展示されていました。秋が深まっていく頃、一族郎党がその長い棒を手にして老親を谷底に落としたというものです。こんなことも実はありふれた人類史なのです。

 

19世紀のスウェーデンは大変貧しく一冬を越せない人がかなり居て、当時の成人人口のおよそ数%が春を迎えることができなかったという話をスウェーデン滞在中に聞いたことがあります。

 

今の人口は900万人くらいですが、当時はその3分の1の300万人くらい。すると成人人口は少なくても200万人。かりに1%とすると、なんと2万人という計算になります。そのほとんどが栄養失調による死亡、つまり餓死だという話です。

 

南北に長いスウェーデンで中央部よりも南部に位置するスットクホルムでも、11月から3月までは、ほとんど氷点下の世界でマイナス20度以下に気温が下がる日もあります。その時期に屋外で食物を得ることはかなり困難で、秋に備蓄した食物と薪が尽きてしまえば、春を迎えることができないという過酷な自然環境です。

 

スウェーデンのみならず北欧から多くの人が北米大陸へ移り住んだという歴史があります。スウェーデンでは1860年から1930年にかけて、およそ100万人移住したという記録が残っています。この時代は春を迎えるのが、いかに困難だったかを知れば別天地を求めることの意味もよくわかりますね。

 

少し話が長くなりましたが、人類にとって働くということは子どもだけでなく老人など生産能力の乏しい人も仲間として生き延びるために不可欠な基本活動と位置づけることができます。

 

男女の能力および特性(例えば育児に伴う授乳など)の別によって、働き方や労働の内容は異なったでしょう。職業あるいは労働などという概念ができたのは、長い人類史の中では取るに足らないほどつい最近のことです。このような理解に立つと、いわゆる生産能力がない人や乏しい人が暮らせる社会こそが、人類が長年求めてきた夢の社会なのです。実は豊かな社会とは、この夢が実現した社会のことだと私は確信しています。

 

話は戻りますが、65歳が高齢者ということは、それ以上の意味はありません。年齢を基準に統計的に処理するときに65歳という年齢であること、そしてその年齢の人がその地域に何人いるかということを表すのみです。年金問題などで65歳を基準にするのは、極めて政治的判断による年金財政の問題を検討する時に必要な基準なのです。

 

これまで人類がその発生当初から継続してきた生産活動は現代の労働とは共通性もあるが、異なる面も多く持っています。働くことが趣味とまでは言いませんが、仕事に生きがいを感じる人は、仕事の中に自己を実現していると言えます。

 

このことは戦乱や飢餓によって日々の生活の継続が困難な社会ではそうはいきません。明日のために食べるというよりは、今食べなければ明日もない状況では、仕事を通して自己実現などと悠長なことは言っておれないわけです。

 

それは「肥満」に象徴される話と似ています。人類(のみならずあらゆる動物)は発生のときから飢えとの戦いであり、摂取した食料をいかに効率よくからだに溜め込んでおくかという身体のメカニズムになっているようです。容易に食べ物が得られる地域では、「肥満」は当然の結果です。

 

つまり、仕事に生きがいを見出し自己実現の手段だと言っておれるのも、そのことを許す豊かさが背景にないと生まれてきません。肥満が社会問題になってきた豊かな社会においてのみ通じる話だと思います。

 


岩波ジュニア新書「みんなでつくるバリアフリー」に、このあたりの文章がよく中学校の入試問題やテスト集に出ています(僕にそのことわりが来ますので、マ・チ・ガ・イ・ない!)ので、中学受験を控えている良い子を知っている方は、ご承知おきくださいネ!

 

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