年に一度だが、今年も長崎大学工学部で講義。「社会と工学」という講座の一コマを担当。
今回は、以前勤務していた重症心身障害児施設の施設長(小児科医)の福田先生も一緒に受講していただき最後に一言お話しをいただいた。右は今年から担当の矢澤教授。
講義が終わったら、施設のある小長井町(今は諫早市に統合された)に向かうが、途中にある小規模の地域支援施設にも立ち寄る。
こちらは少し規模が大きい。グループホームも何棟か建っていた。
今回の目的は、昨年亡くなられた永元さんの画集を作るにあたっての絵の最終選定ということだった。数千枚になる素晴らしい絵の中からどれを選ぶかというのは、大変な作業だったと思う。
もう一度基準を作って、みんなで再度セレクトした。僕にとっては短い時間だったが、至福のひと時だった。
福田先生が踊っているところを描いたものらしい。
僕らの本も本棚に収蔵されていた。
この施設は僕が務めていた建物が移転(山から下りてきていた)し、新築されたものだが、僕が30年以上前に作成した椅子が今も現役で役に立っていたのには驚いた。
職員はずいぶん入れ代わった(当時の仲間たちはそれぞれの部署の責任者になっていた)ものの年配の入所者は、僕のことをよく覚えてくれていて皆大喜びで歓迎してくれ、少しウルウル。30年ぶりだった。まさしく浦島太郎状態だった。
夜はゆかりの人たちが集まってくれた。僕の上は、福田先生の親友で、実は亡くなった相棒の竹野の弟。皆それぞれは不思議な縁でつながっていたのにも驚きだった。